人が複数集まればそれは組織。

マズローの5段階欲求にもあるとおり、人は群れるものなのだ。



組織といってもいろいろある。

家族という血縁で結ばれたもの。

会社や公共団体の中での組織。これは雇用契約や委任契約で結ばれたもの。

学校の中での組織。これは学校教育という社会的枠組みの活動で結ばれたもの。



これらの組織は、それぞれ契約や社会的枠組みのを基礎としているため、今日明日では崩れない。

血縁ほど強い結びつきはないだろうし、雇用契約や委任契約だってその契約条項での強めの結びつきがある。

学校教育に至っては原則として6・3・3・4年間の間、同じ空間で過ごす結びつきがある。



こういう強めの結びつきを前提とする組織は、その運営はある程度既定のルールが整えられていて、

人々はその既定のルール下で動くから、組織運営としてはそれなりに確立されている。





対して、任意の団体はどうだろうか。

例えば、大学のサークル。

サークル内の規則や運営体制はあろうが、基本は血縁でもなく契約関係も無い。

つまり縛りがとても緩い。

契約関係などがない、こういう緩い組織体の場合は、各構成員への目配せをしっかりしておくことが、

組織体の維持と継続的発展にはとても重要ではないかと感じる。



・サークル運営に偏りがあり、人によっては運営活動が負担になっている

・運営活動の負担のせいで、サークルに所属し続けることに躊躇する

・助け合いと感謝の精神に欠ける



こうしたことがあると、もとより契約関係や血縁などの前提がない組織体ゆえ、比較的簡単に人は抜ける。

まあ、当然だろう。ずっと人任せでは上手くいくはずなどないのだ。



契約関係などがないからこそ、その組織運営をするにあたっては細心の注意が払われなければならない。

重要な視点は公平・平等、助け合い。

サークルだろうが、町内会だろうが、同好会だろうが、公平・平等の精神がある団体であるほうが組織としては健全だ。



テニスサークルのなかで、延々と特定の人達がコート手配やメンバー調整、集金や支払、試合の対外調整などの準備活動をやっているとしたら、いますぐ手を打ったほうがいい。

準備活動は他のメンバーの目には入ることが少ないことが本当に多い。見える化するという性質のものではないのだ、下準備というものは。

華やかなコート上での試合は見える化しやすいかもしれないが。

ついでに言うと、「下準備」っていう言い方も好ましくない。自分自身が使う分には問題ないが。

他人から言われたとしたら、言われたほうはたまったもんじゃない。

「下っ端にやらせとけばいいだろ」っていう深層心理が出てる感じがして、こうした組織内で使うワードとしては極めて不適切。



で、他のメンバーは「お客様」状態になってやしないだろうか?

「なんか知らないうちにうまくやってくれてるから助かる〜」なんてのたまっているとしたら、愚の極みだ。

組織内での温度感の差に卒倒してしまう。



契約関係にない緩い組織体は、助け合いと感謝の精神がとても重要。

人は助け合って支えあって感謝しあってこそ心地よく互いに過ごすことが出来る。

もちろん、ビジネスの現場でも大事にしたい精神だ。